仙台地方裁判所 昭和53年(ワ)1076号 判決 1981年5月08日
原告
小野寺春樹
原告
小野寺弘子
右両名訴訟代理人
南出一雄
同
森静
被告
乳井忠雄
右訴訟代理人
袴田弘
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら(請求の趣旨)
1 被告は原告らに対し、それぞれ金一五三三万四〇〇〇円及びこれに対する昭和五三年一〇月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決に仮執行の宣言を求める。
二 被告
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決並びに執行については仮執行免脱宣言を求める。
第二 当事者の主張
一 原告らの請求原因
1 原告らは、訴外亡小野寺直樹(昭和四四年八月一八日生)の実父母であり、法定相続人として直樹の相続財産につき、各二分の一の相続権を有する。
2 直樹は、昭和五三年六月一二日、宮城県泉市向陽台二丁目六番一二号被告方前道路上を通行中、宮城県沖地震(以下「本件地震」という。)に遭遇した際右道路南側の側溝に沿つて設置されていた被告の所有管理にかかる長さ10.45メートル、高さ1.6メートル、厚さ一〇センチメートルの八段積コンクリートブロック塀(以下「本件ブロック塀」という。)が、西端から東へ約4.8メートルの辺を境にして、その東の部分は下二段を残し上六段が、西の部分は下三段を残し上五段が一挙に屏風倒しに北側道路上に倒壊し、直樹の上に落ちたため、その下敷きとなつて即死した。
3 コンクリートブロック塀は、本来備えるべき性質として今回の地震に十分堪える構造であることを必要とするところ、本件ブロック塀には次のような瑕疵があつた。
(一) 本件ブロック塀の下三段は昭和四四年ころ訴外石川登志夫が、上五段は昭和四六年ころ訴外三浦産業がそれぞれ施工したものであるが、下二段と三段目及び下三段目と四段目との継目の接合に鉄筋を使用しておらず、上五段には八〇センチメートル間隔に一四本の九ミリ縦筋が入つているものの、それは下三段の基礎までは届いておらず、わずかに西側の二本が三段目のブロックの中ころまで届いているにすぎない。
(二) 建築基準法施行令六二条の八では「長さ3.2メートル以下ごとに、径九ミリメートル以上の鉄筋を配置した控壁で基礎の部分において壁面から高さの五分の一以上突出したものを設けること」と規定されており、右にいう控壁とは鉄筋が入り、それが塀の鉄筋と結合されているものを言い、この場合には控壁は塀が道路側に倒壊するのを防止する機能を有する。しかるに、本件ブロック塀は両端がL字に折れ曲つていたが塀との間が鉄筋結合されておらず、かつ、10.45メートルの長い塀に対して両端が折れ曲つている程度では控壁とはいえず、結局、本件ブロック塀には控壁がなかつた。
(三) 被告は昭和四四年に本件ブロック塀の下三段を石川登志夫に施工させたがその目的は、将来その上に約八〇センチメートルのフェンスを建てるための土台工事であり、石川も右目的から根入基礎工事もわずかしか行なつておらず、鉄筋も全く使用しなかつた。また、石川は専門の業者ではなく石工にすぎなかつた。被告は、右のように本来フェンスを建てる土台として積んだ三段のブロックの上に、更に五段のブロックを積んだものであり、そのこと自体大きな危険性を有するものであるうえ、右工事もブロック塀に設けるべき構造上の事故防止措置もなされていないいい加減な工事であり、被告はあえて右のような無責任な工事を施工させたものである。
更に、上五段のブロックを積むのに要した費用は二万六〇〇〇円という安価であり、このことからも工事の杜撰さが窺われる。
(四) 本件地震当時被告が居住していた向陽台は岩盤上の台地で地盤は強く、本件地震による被害も他の仙台周辺の新興団地に比して少なく、耐震工学時には第一種、第二種と同程度のものである。また、被告の属していた町内会向陽台二丁目五班中、ブロック塀を有する家は一〇戸あつたが、そのうち倒壊したのは被告を含めて二戸であり、他の一戸は家人の素人工事によるものであつた。被告方と同じ条件にある周辺において、本件地震に対して一〇戸中倒壊しなかつたブロック塀が七戸もあつたことからすれば、倒壊した事実はそのこと自体欠陥のあつた証拠である。
本件地震の震度は五であつたが、仙台においても、昭和年代に入つてからでさえ震度四または五の地震がたびたびあつたのであり、この程度の地震は過去の実例からみて予測できないものではなく、ブロック塀の地震に対する危険性は既に昭和三〇年代において指摘されており、ことに昭和三六年の宮城県北部地震、昭和三九年の新潟県沖地震の経験によつて常識化していた。
したがつて、本件地震程度で倒壊した被告の本件ブロック塀はブロック塀として本来備えているべき安全性を欠いていたものであり、本件事故は天災による不可抗力ということはできない。<中略>
三 被告の主張
1 本件ブロック塀は、昭和四四年以来本件地震の昭和五三年六月一二日までの九年間、亀裂はもちろんのこと、ぐらつき等の異常は一切みられず、特に昭和五三年二月二〇日の地震(震度四)にも充分耐え何らの異常もなかつたのであるから、本件ブロック塀の構造自体にも被告の管理保存にも何らの瑕疵もなかつたものである。
2 本件ブロック塀は昭和四四年に築造されたものであり、原告主張の建築基準法施行令六二条の八による規制は昭和四六年一月一日から施行されたものであつて、それ以前は当時の業界の工法に基づいてブロック塀の工事が施工されており、右によれば控壁は傾斜地等特に危険な場所に設置される等の場合を除き必要はないとされていた。
また、本件ブロック塀は両端がL字に折れ曲つていたのでこれが控壁の機能をはたしており、中間には控壁が設置されていなかつたが、本件地震においては控壁ごと倒壊したブロック塀が多数あつたことからみれば、たとえ控壁が設置されていたとしても本件地震には耐えることはできなかつたし、控壁は住宅方向に塀が倒壊するのを防止する機能を有しているが道路側に倒れるのを防止するにはあまり有効ではない。
したがつて、控壁がなかつたことをもつて本件ブロック塀に瑕疵があつたとはいえない。
3 本件地震は、仙台地方では過去において経験したことのない異常に強いものであり、通常の経験からは全く予測できなかつたもので本件ブロック塀の倒壊は右のように異常に強い地震によつて惹起されたものであり不可抗力によるものというべきである。
(一) 仙台管区気象台は本件地震の震度を五(強震)と発表したが、その後の調査により震度六とみるのが妥当であると考えられている。気象台が発表する震度は気象台の職員が気象台内において体で感じた地震の強さであつて、観測員がいない場所での震度は不明である。
したがつて、職員の体験によつてその判定に差が生じる。今回の地震の場合、新庄測候所では新庄市における震度を「五」と判定したが同市内では震度五に相当する「墓石が倒れる」等の被害は出ていない。
また、水戸地方気象台は水戸市内の震度を五と判定したが同様に被害がなく、その後震度を「四」と修正した。
右のように「震度」は観測点における職員の体感により判定するもので、科学的、客観的基準にもとづくものでなく、単に一般への参考にしかすぎないのである。
ところで、地震の加速度の強さを表すものに「ガル」という単位があり、一秒に一センチメートルの加速度が加わるのを一ガルという。気象庁の参考値によれば、震度五(強震)は八〇―二五〇ガル、震度六(烈震)は二五〇―四〇〇ガル、震度七(激震)は四〇〇ガル以上と言われている。
本件地震の場合、南北方向の地震動が約八分間継続したが、東北大学理学部地震予知観測センターのデータによると、仙台市の住友生命仙台ビル地下二階で南北方向二五三ガル、塩釜市の塩釜港工事事務所構内、同方向二六六ガル、東西方向二八八ガル、石巻市開北橋々脚南北方向五〇〇ガル以上、東西方向三三八ガルといつた驚異的な数値が記録され、また、仙台市の旧市街地における最大加速度について強震計は次の数字を示していた。<編注―左の表>
強震計設置箇所
東北大学工学部
建設系研究棟
七十七銀行
本店
住友生命
仙台ビル
国鉄仙台
管理局
設置箇所
九F
一F
B一F
一八F
九F
B一F
B一F
最大加速度
(ガル、片振幅)
南北
一〇四〇
二六〇
二八〇
五五〇
五二〇
二五〇
四四〇
東西
五二〇
二〇〇
一六〇
四九〇
三九〇
二三〇
二四〇
上下
三六〇
一五〇
八〇
二三〇
二一〇
一二〇
一〇〇
東北大学工学部建設系研究棟(青葉山・地上九階建鉄骨鉄筋コンクリート造)の九階の南北方向では最大加速度一〇四〇ガルを示し、五〇〇ガル以上の極めて激しい揺(周期約一秒)が十数波も続いた。
一〇四〇ガルを示した時の揺れの幅を周期一秒として計算すると片振幅が二六センチにもなり、重力の加速度は九八〇ガル(一gで表す。)であるから、九階では自重を超す水平力が南北方向に働いたことになるという激しい揺れであつた。
一gを超す記録が測定されたのは世界で初めてである。
右の数値を前記の気象庁の参考値に当てはめれば、本件地震は「震度六烈震」ないし「震度七激震」にも相当するものである。
仙台鉄道管理局、住友生命ビル、七十七銀行本店がある仙台の旧市街地は広瀬川段丘上にあり、地盤が硬いが、このような地盤の地下でも最大水平加速度が二五〇〜四四〇ガルになつている。
本件地震で鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物に顕著な構造的被害が多く見られた長町、卸町、苦竹等仙台バイパス沿いの地帯は沖積地で、このような場所における地盤面の最大水平加速度は三〇〇ガルであつたと推測されている。
関東大震災の東京下町における地盤の水平加速度は三〇〇ガルと推定されているので、今回の仙台における地震の強さは関東大震災の東京下町級であつたといえる。
(二) 地震の強さは単に気象台が判定する震度によつて一般的、抽象的に定められるものではなく、地盤が地震に強いものか否かを抜きにしては判断できない性格のものである。地震に対する地盤の強弱については耐震工学的に次のとおり第一種から第四種まで分類されている。
第一種――仙塩地区の硬岩、軟岩の分布地での強い地盤。
第二種――仙台市街地の段丘地帯及び造成地を除いた周辺丘陵地帯(旧市内や向山など)。
第三種――平野のうち河川に沿つた扇状地の砂地盤(長町など)。
第四種――泥炭層の厚い分布地(苦竹など)や砂丘の間の後背湿地(閖上など)及び盛り土された若い造成地など。
今回の地震でも第一種、第二種は被害が少なかつたが、第三種、第四種では大きな被害を生じたのである。
即ち、今回の地震動が約八分間継続し、丘陵や軟弱地盤の上では少くとも二五〇―三〇〇ガル、硬質地盤では一五〇―一八〇ガルの強い震動があつた結果、高台の階段状の造成地で南の仙台市緑ケ丘、北の泉市南光台、仙台市泉市にまたがる黒松団地等と下町の低地(平野)の水田地帯を造成した所で仙台市苦竹、卸町、長町地区の軟弱分布地に建造物等の倒壊、破損などの災害が特に集中した。
これに対し藩政時代から開発された旧市内(かつての市電環状線とその周辺)では災害が少なかつた。
被告が居住する向陽台団地は、いわゆる若い造成地であり地震の震動を強く受けるに至り、その震度は少なくとも「六」の烈震に達していたと推定される。
昭和五三年七月五日、仙台市は同年六月下旬、同市の一般世帯約一九万戸(単身世帯、寮などを除く町内会加入の全世帯)を対象として行つた宮城県沖地震被害実態調査結果の概要をまとめて発表した。
右発表によると、塀、門柱については一般世帯の一五%近くの二一、一四四戸が倒壊などの被害があつたことが明らかとなつた。ブロック塀、石塀の最も被害率が大きいのは沖野、飯田、日辺、今泉など南部の軟弱地盤地域であり、その被害率は三〇%〜四〇%、また、これらの地域より少し北方の遠見塚、南小泉、及び北部の幸町、高松、黒松団地などでは二〇〜三〇%、白萩宮千代、鶴ケ谷、自由ケ丘などでは一〇〜二〇%、柏木、上杉、宮町など比較的仙台駅に近い旧市街地では一〇%以下で、地区によつては殆んど被害のない地域もある。
仙台市内における一三人の死者のうち九人がブロック塀の下敷きによるものであるが、この死亡事故は、長町、沖野、遠見塚、原町、岩切、米ケ袋などといつた河川の堆積土砂即ち沖積土砂によつて形成された沖積平野上で起きている。
特に市南東部の沖積層に造成した飯田団地の場合は全戸数の約三二%が倒壊損壊などの被害を受けている。
造成基盤の弱い丘陵地帯の新興団地でもブロック塀や大谷石塀の崩壊が多くみられた。
以上から全般的傾向として地盤の状態がブロック塀、石塀の被害に大きく影響していると考えられる。
被告が属している向陽台二丁目五班は東西に走る市道をはさんで北側に七戸(ブロック塀は五戸)、南側に被告を含めて八戸(ブロック塀は五戸)の家が存するが、本件地震により南側の五戸のブロック塀のうち被告を含めて三戸の塀が倒壊した。
(三)(1) 以前から「仙台は地盤の良い所、地震災害に強い町」と言われてきた。理科年表(昭和五三年度版)の被害地震年表から伊達領内、宮城県下についての被害記事あるものは別表(三)の「過去の被害地震」のとおりである。
右表の被害摘要に仙台についての震害記事があるものは一六一六年以降七件、これに伊達領内、宮城県下についての震害記事があるものを加えると八六九年以降一七件となるが、一七件の中で震央が今回の地震とほぼ同じ位置にあるものは番号一〇〇、二一三、二三六、三五四の四件にすぎない。しかも、この四件の被害摘要には著しい震害の記事はない。
特に、番号三五四(昭和一一年)は、宮城福島両県で非住家全壊三とあるにすぎない。これらの四件と宮城県沖地震を家屋の被害について比較すると激甚の度合は今回が他を圧倒的に凌駕している。
震央の位置が今回の地震よりはるかに仙台寄りのものが一件ある。それは番号二九六(明治三〇年二月二〇日)である。
仙台における建物の被害状況は次のようなものであつた。
「木造建物は壁に小亀裂の発生したものがある程度で、ほとんど被害はない。土蔵は腰瓦および壁の剥落、小亀裂程度の被害である。煉瓦造建物は二階以上のものの被害が著しく、特に仙台集治監の塀(全長七〇〇間)は長さ二〇〇間にわたつて倒壊し、残つた部分も大・中破している。独立煙突にはほとんど被害がない。建物の屋上突出煙突の転倒・欠損等が市内の各所にわたつて起きている。石碑、石灯籠に転倒・回転したものがある。大橋および澱橋の石欄に亀裂が生じた。」
右地震の被害は仙台市街における被害であり、これと今回の地震による被害を比較すると被害の程度、被害の数ともに今回の方が圧倒的に甚大である。
(2) 地震時には建築物に動的な水平力が働くため、現在の耐震設計においても、これを静的な力におきかえて設計するのが通常の方法である。建築基準法令の耐震規定もこの方法による設計を前提としており、静的な水平力(「地震力」という。)等により、柱や梁といつた構造耐力上主要な部材に生じる応力度を計算し、その応力度が部材の構成材料ごとにそれぞれ定められた材料の許容応度をこえないことを確かめることにしている(建築基準法施行令第三章第八節)。
法令において定めた地震力は原則として建築物の重さの二割とすることになつている。(建築基準法施行令八八条)(この二割、つまり建築物の重さを1.0としたときの0.2のような数値を水平震度と呼ぶ)。この数値は基本的には大正一二年の関東大地震の被害を教訓として定められたものであり、我が国は地震の多い国であるため、普通の建築物がその耐用年限中にかなりの大きさの地震を経験することが考えられるから、一つの建築物がその耐用年限中に経験する最大級の地震動として関東大地震クラスのものを想定して、そのような地震動に対しても建築物が安全であるようにと考えられたものである。
また、ここでいう耐用年限中の最大級の地震動とは、ほぼ一〇〇年に一回の地震動である。
水平震度0.2というと加速度にしてほぼ二〇〇ガルである。
我が国は地震が多いと言われるが、歴史的にみて、かなりの大きさの地震動を多く経験している地域とあまり大きな地震動を経験していない地域があり、かつ、耐震設計用の地震力を一〇〇年確率で選ぶことにより、その地震力は両地域で差が生じてもおかしくないということが言える。
そこで、法令においても設計用の水平震度の値について地域によつて低減できるようになつている(建築基準法施行令八八条五項)。
昭和二七年建設省告示第一〇七四号は右規定に基づき定められているもので、水平震度を低減できる地域とその係数が定められている。これがいわゆる地域係数と呼ばれているものである。
昭和二七年建設省告示第一〇七四号(水平震度の数値を減らす基準)は、南関東、東海、近畿などを1.0とし、それに対し0.9の地域と0.8の地域を定めている(沖縄はほぼ0.5に相当)。
東北は0.9の地域とされている。
右の告示は昭和五四年四月一日より改正され、一部の地域の地域係数が改正され、北海道南東部(根室市、釧路市等)、青森県東部(八戸市等)、岩手県、宮城県、福島県東部(福島市、いわき市等)等が地域係数0.9から1.0となつた。
つまり、宮城県沖地震が発生する以前は、宮城県の場合、関東大地震の如き大規模な地震動は起らないというように考えられていたことを示すものである。
仙台市民が仙台は地震がないと考えていたことは無理なからぬことである。
(四) 建築基準法施行令六二条の八では補強コンクリートブロック造の塀について定めているが、これは昭和四五年政令三三三号で追加されたものである。
ところで、右改正後、既設の或いは新設のブロック塀が右規定に適合するか否かについての検査が行政当局より行われたのは今回の地震後である。それは人命被害が出たこと、崩壊或いは損壊の数が極めて多かつたからである。
仙台市と宮城県とは昭和五三年一二月合同で、宮城県内二四一カ所(六三町村)の主要なスクールゾーン(通学路)内のブロック塀、石塀等総件数一〇、七三〇件のうち、危険と見られる一、四〇六件について機械器具と目視等によつて点検したところ、①安全と認められるが今後の維持管理に注意を要するものは三九〇件で二七%、②危険箇所が認められ補強を要するものは八八六件で六三%、③非常に危険な状態にあり撤去を要するものは一三〇件で九%となり、点検件数の七二%は補強又は撤去を要するものであつた。さらに、これを調査通路の総件数からみると九%となつている。
地域別では仙台市が二九九件で最も多く、石巻九四件、中田町四四件、泉市四一件であつた。
また、仙台市内のスクールゾーン内の九六〇カ所のうち危険な状態にあることが確認された塀は三分の一近い三三〇カ所で、このうち四割までが宮城県沖地震で一部損壊したり、全体が傾くなどの被害を受けた極めて危険なものであることが判つた。
このように仙台市内などの危険なブロック塀が存在することについての実態調査が行われたのは、今回の地震により被害が発生したためである。
今回の地震迄このような点検が全く行われなかつた大きな原因の一つには仙台は大きな地震がないと一般に考えられていたこと、ブロック塀なら台風でも地震でも倒れるなどと思つていなかつたからである。
ブロック塀が危険であるということを認識していた者は極く限られた学者、ごく一部の施行業者など一部の者に限られていたのである。
4(一) 民法七一七条の工作物の所有者の責任は無過失責任と言われている。<省略>
5 仮りに本件コンクリートブロック塀の設置保存に何らかの瑕疵があつたとしても、本件の場合は法的な因果関係は存在しない。
即ち、今回の地震は仙台市内において旧市街地を除く至る所でビル、家屋の崩壊、コンクリートブロック、石塀の倒壊、損傷等大きな被害を出した異常な自然現象ともいうべきもので、本件のコンクリートブロックの倒壊は築造当時通常予見され得なかつた規模の地震に起因するものである。
したがつて、仮りに本件コンクリートブロック塀の設置又は保存に瑕疵があつたとしても、結果の発生(損害)との間には法的因果関係(相当因果関係)はなく、それは不可抗力によるものであつて、被告に土地工作物責任を負わせることは出来ないものである。
6 被告乳井所有のブロック塀の設置、保存に瑕疵があつたとしても、ブロック塀の倒壊は宮城県沖地震という大きな自然力が加わつたためである。
被告のブロック塀は地震がなければ倒壊することはなかつたのである。被告のブロック塀も地震も、いずれもそれだけでは損害を惹起することはなかつたが、両者が合してはじめて損害が生じたという意味では、両者の関係は必要的競合と言える。
右のような種類の原因競合は、競合する原因の一方が自然力であるため、その原因に帰せしむべき損害については、被告或いは原告のいずれかが負担しなければならないが、被告、原告のいずれも自然力の寄与については当然に責任を負うべき関係にはないものである。
本件において被告の責任を考える場合、予見し難い、不可抗力ともいうべき地震という原因を考慮する必要がある。
ブロック塀の倒壊がわずかな自然力で発生したという場合の如く自然力の寄与する程度が小さいのであれば、それによつて生じた損害のすべてを賠償すべきは勿論であるが、不可抗力と目すべき原因が競合した場合は、賠償の範囲は、事故発生の諸原因のうち、不可抗力と目すべき原因が寄与している部分を除いたものに制限するのが相当である。
本件の場合、被告については民法七一七条の工作物の設置、保存に瑕疵はないと考えるが、仮りにあるとしても、前述したように本件のブロック塀の倒壊に対する地震の寄与する程度は非常に大きいものと考えられる。
本件の場合被告の損害賠償責任は大巾に減ぜられるべきである。
四 被告の主張に対する原告らの反論
1 地震の際の震度の測定は訓練され経験のある気象台の職員によつてなされるものであり、それ程個人差はなく大体一定しており必ずしも非科学的・非客観的とはいえない。
本件地震動が八分間というのは有感の継続時間であつて、主要動の継続時間は約二〇秒であつた。震度は場所によつて異なるのであるから、震度五はあくまで仙台気象台での震度であり、ビル九階での震度は六或いは七となることはありうるかも知れないが、それは一般的な意味は全くない。同一場所の気象台の震度との関係は常に一定のものである。
仮りに、向陽台における本件地震の震度が六であつたとしても、震度五程度の地震がたびたび発生している以上、震度六程度のものが発生しない或いはその発見が予見できないという根拠は全くない。また、被告の主張のように、気象台における震度が五の場合、向陽台における震度が六であるとすれば、向陽台ではこれまで、気象台の震度五と同じ回数だけ震度六の地震があつたことになる。
仙台においては震度五の地震がたびたび発生している以上、震度四に対して本件ブロック塀が何等の異常もなかつたことは瑕疵がなかつたことの理由にはならない。
請求原因3(四)及び後記のようにブロック塀の危険性については常識化しており、被告も本件ブロック塀築造当時右危険性を認識していたのであるから、地震等による倒壊防止には十分留意し、少なくとも鉄筋を用い、控壁を作ることは当然の義務であつて、右義務は建築基準法施行令六二条の八の適用の有無とは関係がない。
2 本件地震までブロック塀の点検が行なわれなかったとしても、それは行政の怠慢によるものであり、ブロック塀の危険性が一般に認識されていなかつたからではない。ブロック塀が危険なものであることは過去の大地震の際の報道によつてつとに一般に認識されていたことは甲第七、第八号証によつて明らかである。昭和四六年から建築基準法施行令六二条の八が施行されたこと自体、既にその危険が指摘され、事故も頻発した結果にほかならない。
乙第二八号証(コンクリートブロック住宅増補改訂版・勝田千利著)によれば、これが出版された昭和三一年においてさえ、「大暴風、大地震の時倒壊するようなものを見かけるので、」と述べており、この時点で既に基礎板か控壁を設けること、たて筋を最低一メートル間隔に入れ、その基礎梁中へ埋込む長さは一尺二寸以上とすること、などを警告しているほどである。それであるからこそ、被告の妻自身、本件ブロック塀増積工事に当つて、「鉄筋は入つていないのはわかつていましたので、大丈夫ですかということは念を押した。」「ただ大丈夫なのかどうかを心配ですから聞いたんです。」或いは「宮城県沖地震(宮城県北部地震の意)のあとに、河北新報の夕刊か……ブロック塀で一人なくなったことがあるという記事は読みました。」と証言しており、ブロック塀の危険性はよく知つていたものである。
また、同人は本件ブロック塀の上五段を積むに当つて、下三段が本来その上にフェンスを建てる予定であつたことから更にブロックを積むことの危険を感じ三浦に大丈夫かどうかを念を押して聞いていることからすれば、同人自身、本件ブロック塀自体の危険性を十分認識していたといえる。
したがって、昭和四六年以前において、ブロック塀の危険性を一般市民が全く認識していなかつたとの被告の主張は誤りである。
3 被告は、過去の地震による被害と本件地震による被害を比較するが、調査、測定方法の未発達な時代の資料と現代のものとを比較することは無意味である。
4 仙台において震度五程度の地震は決して予想し得ないものでないことは過去の実例により明らかであるし、本件地震で倒壊したブロック塀は、仙台市内の全ブロック塀のうちの少数で被害のあつたものの大部分は倒壊にまでは至らず、更に全く被害のなかつたものもそれ以上多いのである。そして調査の結果によれば、倒壊したものはいずれも工事に重大な欠陥のあるものに限られている。したがつて、通常の工事をしていれば、本件程度の地震には倒壊しなかつたものである。
ブロック塀は或る程度の外力に対して当然それに耐えうる備えあるべきことを要求されているのであり、或る程度とは、少なくとも本件地震には十分に耐えることを必要とする。
したがつて、本件の直樹の死亡による損害の発生は全く被告のブロック塀の余りにもひどい瑕疵によるもので、不可抗力はもとより、地震という自然力による原因競合なる観念を容れる余地はないものである。
第三 証拠<省略>
理由
一訴外亡小野寺直樹が昭和五三年六月一二日宮城県泉市向陽台二丁目六番一二号の被告方前路上を通行中、宮城県沖地震(以下「本件地震」という。)が発生し、右地震のため右道路南側の測溝に沿つて設置されていた被告の所有管理にかかる長さ10.45メートル、高さ1.6メートル、厚さ一〇センチメートルの八段積コンクリートブロック塀(以下「本件ブロック塀」という。)が西端から東へ約4.8メートルの辺を境にしてその東側の部分は下二段を残して上六段が、西側の部分は下三段を残して上五段が屏風倒しに北側道路上に倒壊して直樹の上に落ちたため、直樹は倒壊したブロック塀の下敷きとなつて即死した(以下「本件事故」という。)ことは当事者間に争いがない。
二原告らは、本件事故は、被告の所有管理にかかる本件ブロック塀の設置又は保存の瑕疵に基因するものであるから、被告は原告らに対し民法七一七条により損害賠償義務を負うべき旨主張するところ、被告は同条の土地工作物の所有者の責任の発生についてこれを過失責任と解すべきであり、所有者は土地工作物の設置又は保存の瑕疵の存在について注意義務違反が存する場合に右瑕疵に基因する損害に対して責任を負うべきものである旨主張するけれども、同条の責任発生要件としての瑕疵は客観的に存在すれば足り、それについて所有者の故意、過失を必要としないものと解すべきである(大判昭和三年六月七日民集七巻四四三頁、大判昭和九年五月二六日判決全集(六)一八頁参照)から、同条による所有者の責任を過失責任と解すべきことを前提とする被告の主張は採用できない。
しかしながら、工作物の所有者が同条により損害賠償の責任を負うためには工作物の設置又は保存に瑕疵があり、その瑕疵と損害との間に因果関係が存することを要するものであるから、以下本件ブロック塀の設置又は保存に瑕疵があつたか否かについて検討する。
三一般にブロック塀の設置又は保存に瑕疵があるとはブロック塀の築造及びその後の維持、管理に不完全な点があつて、ブロック塀が安全性を欠いていることをいうものであるが、その要求される安全性は、如何なる事態が発生しても安全であるという意味のいわゆる絶対的な安全性ではなく、当該工作物の通常備えるべきいわゆる相対的な安全性をいうものと解すべきであり、右にいわゆる通常備えるべき安全性とは、本件に則して言えば、本件は地震に関連して発生した事故であるから、本件ブロック塀が通常発生することが予測される地震動に耐え得る安全性を有していたか否かをいうものであるが、地震が地上の建築物に対して及ぼす影響は、地震そのものの規模に加えて、当該建築物の建てられている地盤、地質の状況及び当該建築物の構造、施工方法、管理状況等によつて異つてくるものであるから、具体的に本件ブロック塀に瑕疵があつたか否かを決するに当つては、右のような諸事情を総合して、本件ブロック塀がその製造された当時通常発生することが予測された地震動に耐え得る安全性を有していたか否かを客観的に判断し、右の点につき安全性が欠如し或いは安全性の維持について十分な管理を尽さなかつた場合には、本件ブロック塀の設置又は保存に瑕疵があるものというべきである。
四よつて先ず本件ブロック塀の構造、その施工方法、築造された時期、ブロック塀に対する法的規制の有無等についてみるに、前記第一項の当事者間に争いのない事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 本件ブロック塀は、宮城県泉市向陽台二丁目六番一二号の被告方前道路の南側に沿つて東西方向に設置された長さ10.45メートル、高さ1.6メートルの八段積ブロック塀で、一段目は長さ四〇センチメートル、高さ二〇センチメートル、厚さ一五センチメートルのブロックが基礎ブロックとして設置され、二段目から八段目までは長さ四〇センチメートル、高さ二〇センチメートル、厚さ一〇センチメートルのブロックが積まれており、最上部に笠ブロックが乗せられ、最上部と六段目のブロックにはところどころ「すかしブロック」も使用されていた。
塀の両端は南方にブロック一個分L字型に折れ曲つており、西端は門柱に接続していた。
右設置の状況は、別紙図面(一)、(二)のとおりである。
(2) 本件ブロック塀の基礎部分と下三段及び門柱は昭和四四年五月頃石工の訴外石川登志夫が被告の依頼により築造したものであるが、被告は所有地の土止めや境界を明確にするためと将来その上にフェンスを建てる目的で石川にフェンスの基礎工事と門柱の設置を依頼したものであつた。
石川はブロックで門柱を造り、フェンスの土台については土を一〇センチメートル位堀つてコンクリートを流し、その上に厚さ一五センチメートルのブロックをのせ、そのブロックをコンクリートで固めて基礎を造つた。
右基礎部分の状況は別紙図面(三)のとおりである。
石川は右基礎の上に厚さ一〇センチメートルのブロックを二段積み、基礎ブロック及びその上に積んだ二段のブロックの穴にはコンクリートをつめたが、三段目のブロックにはフエンスの柱を立てるために1.8メートルおきに穴をあけておいた。石川は門柱には鉄筋を使用したが、右ブロック積みについてはそれがフェンスの土台であることから鉄筋を使用しなかつた。
(3) 本件ブロック塀の上五段部分は、同年秋頃、建設業者の訴外三浦産業が、石川の造つた下三段の上に厚さ一〇センチメートルのブロックを積み重ねて築造したものであるが、上五段部分についての鉄筋の使用状況は別紙図面(二)のとおりであり、縦筋は径九ミリメートル、長さ九五センチメートルの鉄筋が西端から八〇センチメートル毎に一三本と東端に一本の合計一四本入つていたが、縦筋が三段目のブロックまで届いているのは両端の二本だけであり、基礎部分まで届いているものは全くなかつた。また横筋は径九センチメートルの鉄筋が上から二段目のブロックに一本通されているのみであつた。本件ブロック塀を築造したときは、別紙図面(一)の被告方作業場は建築されていなかつたが、本件ブロック塀には控壁は設けられなかつた。
本件地震により本件ブロック塀の西端から東へ約4.8メートルの辺を境にして、その東の部分は下二段を残して上六段が、西の部分は下三段を残して上五段が屏風倒しに北側道路上に倒壊したが、右倒壊部分は別紙図面(二)の点線より上の部分である。
(4) コンクリートブロックはアメリカから輸入され、昭和三〇年代に入つて一般建築物、塀、帳壁等の材料として使用されるようになり、ブロック塀も広く一般家庭に普及していつた。
ブロック造の建築物の普及に伴い、ブロック建築についての著書も次第に公表されるようになり、昭和三一年に発行された東京工業大学教授勝田千利著「コンクリートブロック住宅」には「ブロック塀は大暴風、大地震の時倒壊するようなものをみかけること、地震力に対してより暴風時の風圧により転倒する可能性がある」ことが指摘され、「転倒を防ぐためには、塀の下部に基礎版(フーチング)を布基礎状に設けること、或いは控壁を設けて転倒を防いでもよいこと、ブロック塀の崩壊を除ぐために、たて筋を入れて丈夫にすること」等の説明がなされ、また昭和四一年に第二版が発行された平井潔著「ブロック建築の実際」においては「ブロック塀が異状なまでに普及してきたが、それらのブロック塀は殆んどがまともなものでない」旨見解を述べ、「ブロック塀の正しい構造とその積み方について、昭和三九年に出された日本建築学会の“コンクリートブロック塀の設計要領”を参考にして、基礎の構造、鉄筋の入れ方、控壁の構造等ブロック塀の構造とその施行方法のあり方について」の説明がなされている。
(5) しかし、コンクリートブロック塀そのものに対する法的規制は、昭和四五年一二月二日政令第三三三号により建築基準法施行令六二条の八の条項が新設され、これにより補強コンクリートブロック造の塀の構造基準が定められ、右条項が昭和四六年一月一日から施行されたが、それ以前には特に法的規制はなく、本件ブロック塀が築造された昭和四四年当時においては、仙台市がそれまで地震があつてもそれ程大きな被害はなく、仙台は地盤の強いところと言われていたため、仙台市の施工業者の間においては、ブロック塀の耐震性に関する研究も不十分で、耐震性を考慮した構造基準や施工方法も一般化されていなかつた。
以上の事実が認められ<る。>
五次に本件ブロック塀築造当時通常発生が予測し得べき地震の程度について検討するに、我国は世界でも地震の発生率の高い国であり、地震に関する研究もかなり進んでいるとはいうものの、将来どの程度の規模の地震が発生するかを確実に予知することは不可能に近いし、日本全国に一律に地震が発生しているわけではなく、地震が多発する地域は或る程度限定されているから、本件ブロック塀の安全性を考えるについても、仙台市近郊において過去に発生した地震のうちの最大級のものに耐えられるか否かを基準とすれば足りるものと考えられる。
ところで<証拠>によれば、仙台管区気象台で最近五〇年間に観測された仙台市における地震のうち、震度四以上のものは別表(一)のとおりであつて、これによると、仙台においては過去において震度六以上の地震の観測例はないことが認められ、右に加えて建築基準法施行令八八条において水平震度が0.2と定められていたこと等の諸事情を考慮すると、本件ブロック塀築造当時においては、震度「五」程度の地震が仙台市近郊において通常発生することが予測可能な最大級の地震であつたと考えるのが相当である。
六そうすると、本件ブロック塀の設置につき瑕疵があつたというためには、前記認定のような構造であつた本件ブロック塀が地盤、地質、施工状況等の諸事情に照して震度「五」の地震に耐え得る安全性を有していなかつたことが明らかにされなければならないものといわなければならない。
七(一) ところで、本件地震につき仙台管区気象台が震度を「五」と発表したことは公知の事実であり、地震の強さを表わすものとして一般に「震度」が用いられ、気象庁による震度の階層及び説明は別表(二)のとおりである。
しかしながら、震動の測定方法は、気象台の観測員が当該地震における振動の振幅、周期、速度、加速度、継続時間等の諸要素を総合的に感得して判断するものであるから、経験を積んだ観測員の判定は、当該気象台設置場所での地震の揺れ方に関する限りかなりの程度の正確さを有し、当該地震の一般的な強さの程度を示すものとしては相当程度の妥当性を有するものと考えられるけれども、地震は地殻の変動等の原因により震源地で発生し、発散されたエネルギーが地震波となつて地中を伝播して周囲へ波及していき、地表に到達して地面を振動させるものであるから、地震波が地表へ到達するまでの地殻を構成する土質や岩石の種類により影響も異るものであり、更に当該地表近くの地盤の状況によつてもその振動の状況が異つてくるものであつて、当該地盤の形成時期、形成過程、これを構成する岩石、土質等によつて同じ地震波をうけてもより大きく振動するものとそれ程振動しないものとの差異が生じてくるものであるし、当該地盤が自然状態のままの場所であるか宅地造成等により人工的に改変された場所であるか、或いは地上に建築物があるのか否かによつても地表における地震の揺れ方は異つてくるものであるから、気象台発表の震度は設置場所付近以外の他の場所での具体的な揺れの程度と必ずしも対応するものとは言えない面もあると考えられる。
(二) そして、本件地震による被害状況についてみるに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(1) 宮城県内における被害の概況は死者二七人、負傷者一〇、九六二人、建物については、住家全壊一、三七七戸、同半壊六、一二三戸、同一部損壊一二五、三七五戸、非住家四三、二三八戸、その他公共土木施設、農林水産関係等各方面にわたり甚大な被害が発生し、その被害総額は昭和五三年七月一一日現在で約二、五六〇億円に達するものであった。
(2) また昭和五三年六月下旬に仙台市が行つた調査によると、仙台市においては、死者一三人、重軽傷七、一四六人、建物等については、住家全壊五五二戸、同半壊二六二戸、同一部損壊五七、二〇七戸、非住家被害一一、五六四戸、宅地被害一一、四七一戸、門・塀損壊二一、一四四戸等の被害が発生し、市民の被害総額は約五〇二億円であつたほか、電気、水道、ガス等の公共施設等にも重大な被害が発生した。
(3) 仙台市の被害の発生を地域別にみると、一般的には、広瀬川河段丘上の旧市内及び造成地を除いた丘陵地帯は比較的被害が少なく、概して軽微な被害が小被害ですんでいるのに対し、沖積平野のうち、河川に沿つた扇状地の砂丘地盤の地域や泥炭層の厚い分布地、砂丘の間の後背湿地、水田を埋立てた地域及び盛土された若い造成地等の地域に建造物の全半壊、地盤の変動等の大きな被害が集中していた。
(4) また本件地震の被害の特徴の一つに、仙台の死者一三人のうち九人がブロック塀、石塀等の倒壊によるものであつたことがあげられているが、ブロック塀石塀等の倒壊、損壊などの被害も前記の沖積平野及び新興造成地の地盤の弱い地域に集中している。
本件地震の仙台市における右のような被害状況と過去仙台市において経験された地震による被害状況、即ち前掲乙第一五号証によると、昭和五三年度版理科年表の被害地震年表には過去における伊達領内、宮城県下についての被害記事として別表(三)のとおりの記事があることが認められ、また成立に争いのない乙第二九ないし第三三号証には、震源地が本件地震に近い地震と考えられている明治三〇年二月二〇日発生したマグニチュード7.8の地震(別表(三)の二九六番の地震)についての仙台近郊における被害記事が掲載されているが、これらの資料に現われている過去仙台市において経験された地震による被害状況とを比較して考慮すると、本件地震は、仙台市においてこれまでにない最大の被害をもたらした地震であると認められる。
(三) しかして、地震の揺れの強弱は、振動の振幅、周期、速度、方向、加速度、継続時間等の諸要素が一体となつて生ずるものと考えられるから、これを一つの物理量で表現することは困難であるか、震度と密接な関連を有するのは加速度であると考えられ、各所に設置された強震計により計測された加速度の数値(単位ガル)は、当該場所における地震の揺れ方の強弱を示す有力な資料であると考えられる。
右ガルの値と震度の関係について気象庁が示している参考値は別表(二)のとおりである。
ところで<証拠>によると、本件地震の震央は、北緯38.1度、東径142.2度、宮城県金華山の南東約五〇キロメートルの地点で、震源の深さは四〇キロメートル、マグニチュード7.4であつたこと、本件地震につき仙台市内の各所に設置された強震計により計測された加速度の値は次のとおりであつたことが認められる。<編注―次頁左上の表>
右強震計設置場所のうち、国鉄仙台管理局、住友生命ビル及び七十七銀行本店は仙台市の旧市街地に存し、広瀬川河段丘上の地盤が強固なところであるが、このような場所においても建物の地下二階及び同一階で二五〇ガルないし四三八ガルの加速度が加つており、これを前記気象庁発表による参考値と対比すると、右各場所の震度は「六」と考えられることになる。
もつとも、前記のように、一つの物理量をもつて震度を決することは困難であるし、建物内に設置された強震計による数値は当該建物の構造及び設置場所と密接な関連を有するものであるから、右数値のみをもつて本件地震の強さを云々することは早計であるが、前掲乙第三号証の一、二によると、最近の主な地震の加速度につき、仙台で震度「五」であつた昭和三九年の新潟地震(マグニチュード7.5)における新潟市内のアパートで記録された値は一六〇ガルないし一九〇ガルであり、仙台は震度「四」であつた昭和五三年二月の宮城県沖地震(マグニチュード6.7)において仙台市中心部で記録された値は一〇〇ガルないし一七〇ガルであることが認められ、関東大震災における東京都下町方面におけるガル値が二〇〇ガルないし三〇〇ガルと推定されていることをも勘案したうえで本件地震の加速度の値をみると、仙台市内の各所において計測された数値は過去の地震におけるそれをかなりの程度上廻るものと推認され、また、一般に、地震によつて受ける影響は、地盤の軟弱な場所の方が大きいものと言えるから、前記のように、仙台市において建築物損壊等の被害が集中した地域は旧市内地に比して同程度以上の加速度が加つたものと推認される。
(四) 右のほか<証拠>によると、本件地震は原告小野寺弘子が被告方の二軒隣りの荒谷方の玄関にいた際発生したのであるが、地震の最中は立つていられない位の揺れで同人は玄関につかまつていたこと、また右荒谷方では地震の揺れで戸棚の中からいろいろな物が飛び出してきたこと、被告がその属する向陽台団地のブロック塀、大谷石塀の所有者に本件地震による被害状況について求めたアンケートに対する回答(六五通)によると、ブロック塀又は大谷石塀が全壊したとの回答があつたもの一〇戸、一部崩落又は損壊したとの回答があつたもの約二〇戸、一部又は全部傾斜したとの回答があつたもの約一五戸であつたことなどの事実が認められること、
強震計設置場所
東北大学工学部
建築係研究棟
七十七銀行
本店
住友生命
仙台ビル
国鉄仙台
管理局
塩釜港工事事務所
石巻市開北橋
設置個所
九階
一階
地下一階
一八階
九階
地下一階
地下二階
地下一階
地盤
地盤
最大加速度
(ガル、片振幅)
南北
一〇四〇
二六〇
二八〇
四八六
三九三
二五〇
二五三
四三八
二六六
二〇〇
東西
五二〇
二〇〇
一六〇
五五三
五二〇
二三〇
二二七
二三八
二八八
二九四
上下
三六〇
一五〇
八〇
二二七
二〇七
一二〇
一二〇
一〇〇
一六六
一一三
等の諸事情を併せ考えると、本件事故現場においては、震度五を超える強い振動であつた可能性も十分考えられるから、本件地震の震度が五と仙台管区気象台から発表されたこと或いは本件地震により本件ブロック塀が倒壊したことのみから、直ちに本件ブロック塀がその築造当時において通常予測すべき震度五の地震に耐え得ない強度のものであつたと速断することはできないし、他に本件ブロック塀が本来備えるべき震度五の地震に耐え得る安全性を欠いていたものであることを肯認し得る証拠はないから、結局、本件ブロック塀の設置の瑕疵については立証がないものといわなければならない。
八ところで、本件ブロック塀が築造された後、昭和四五年一二月二日政令第三三三号により建築基準法施行令六二条の八の条項が新設され、これが昭和四六年一月一日から施行されたことは前述のとおりであり、右条項の定める構造基準は次のとおりである。
「補強コンクリートブロック造のへいは、次の各号(高さ1.2メートル以下のへいにあつては第五号及び第七号を除く。)に定めるところによらなければならない。ただし、構造計算によつて構造上安全であることが確められた場合においては、この限りでない。
一 高さは、三メートル以下とすること。
二 壁の厚さは、一五センチメートル(高さ二メートル以下のへいにあつては、一〇センチメートル)以上とすること。
三 壁頂及び基礎には横に、壁の端部及び隅角部には縦に、それぞれ径九ミリメートル以上の鉄筋を配置すること。
四 壁内には、径九ミリメートル以上の鉄筋を縦横に八〇センチメートル以下の間隔で配置すること。
五 長さ3.2メートル以下ごとに、径九ミリメートル以上の鉄筋を配置した控壁で基礎の部分において壁面から高さの五分の一以上突出したものを設けること。
六 第三号及び第四号の規定により配置する鉄筋の末端は、かぎ状に折り曲げて、縦筋にあつては壁頂及び基礎の横筋に、横筋にあつてはこれらの縦筋にそれぞれかぎかけして定着すること。
七 基礎のたけは、三五センチメートル以上とし、根入れの深さは三〇センチメートル以上とすること。」
右条項の基準に照すと、本件ブロック塀が基礎、鉄筋の使用、控壁等において右基準に適合しない点が存したことは明らかであるから、右規定に適合すべく本件ブロック塀を改造しなかつたことが保存の瑕疵といえるか否かについて判断するに、一般に瑕疵の有無は、相対的、社会経済的な見地に立つて考慮さるべきものであるから、ブロック塀についての研究及び技術に格段の進歩発展があり、しかも旧来のものによるときは極めて危険であるとしてすべて新規の技術に従つて在来のブロック塀を補修ないし改造することが法令によつて要求されるか、或いはそうでなくても、その指摘がなされてそれが一般に行われていたような特別事情があれば格別、そうでない以上設置当時瑕疵がなかつた建築物につきその後何らの異常がない場合にも新たな法規による基準に適合すべくこれが補修ないし改造をすることは必ずしも一般に期待できないところであるから、これを怠つたからといつて保存について瑕疵があつたものと言うことはできないものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、右特段の事情を認める証拠はないし、本件ブロック塀は築造時から倒壊に至るまで震度四の地震を三度経験したが、その際は特別異常はなかつたものであるから、本件ブロック塀の保存についても瑕疵があつたものと認めることはできない。
九以上のとおりであつて、結局、本件については、原告らの立証によつては、未だ本件ブロック塀の設置又は保存につき瑕疵があつたものであることを肯認することができないから、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなくこれを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九三条に従い主文のとおり判決する。
(伊藤和男 斎藤清実 荒井純哉)